【対談】たむらしげるさん×土井章史さん 長年の知己である2人による「絵本の話」(第2回)

イラストレーションNo.220に掲載された、たむらしげるさんと絵本編集者・土井章史さんによる対談を、第4回に分けてお届けします。

一緒に巡った古書店の話に始まり、作家と編集者の立場からの絵本への言及、そしてお宝自慢など、この2人だからこそのエピソードが飛び出します。

第1回第3回最終回はこちら)

(連載のまとめはこちらから)

撮影:根本絵梨子

 

たむら作品が持つ孤独感について

土:もっと古い話を聞きたいんですけど、たむらしげるがもともと持っている世界観というか、これは子どもの頃の話になっちゃうのかもしれないけど作品から〝孤独感〟というのをすごく感じるんです。

た:一般の子どもと同じように友だちと遊んでたりはしたんだけど、やっぱり1人きりになる時間というのを意識的にとっていた感じはするよね。

土:「たむらさんのお父さんが山の中に家を建てて」って、とんでもない話を以前聞いたような気がするんだけど、あれは関係あるんですか?

た:あるかどうかは分からないけど、父親が国道16号線が新しく整備されて立派な道路になった時に「そこの通り道なら食べ物屋としてやっていけるんじゃないか」って言って、家を自分で建てたんだよね。最初は何をするかまだ決めてなかったみたいなんだけど。僕はまだ小学校入学前、多分5才くらいの頃だったと思う。いきなり引っ越しのトラックに乗せられて、そこに辿り着いた時にはもう山の中で、辺りには何もないんだよね。

土:その時期の記憶が関係あるのかなって僕はずっと思ってるんですけど。

た:人に言われるとそういうのもあるのかなとも思うんだけどね、何とも言えない。

土:周りは真っ暗で夜空があって、そこで5才でほとんど1人で……

た:兄と両親もいるけどさ。ただ道路も出来たばかりであまり通る車もなくて。だから道の真ん中で寝転がっていてもほとんど大丈夫なくらいだった。

土:最初から電気とかは来てたんですか?

た:来てないよ。だから文明の発達をそのまま体感してるんだよね。最初は石油ランプ。使っているとホヤの部分が煤で汚れて、それを新聞紙で内側から磨いていくのをやらされて。それが第1期でね。第2期がガス灯。その後にやっと電気が来た(笑)。

土:そこでの生活が5才くらいからどのくらいまで?

た:高校くらいだったかな。『よるのおと』に出てくるような蛍とかいましたよ。

土:それが原体験としてあるわけですね。

た:うん。家の裏が谷のようになっていたんだけど、そこに小さな田んぼがずっと続いてて、その田んぼの脇に細い川が流れていた。夜になると、船で向こう側の岸に空中を渡っていけそうな、そんな幻想を持っていましたね。

土:高校の頃までいらっしゃったっていうのは、そこでお父さんは商売してたってこと?

た:最初は今川焼屋を始めたんだけどね、そんな山の中でさ、売れるわけがない(笑)。当時売れ残りの今川焼をこれでもかってくらい食べたから、今でもあんまり好きじゃないんだよ。その後に何を思いついたか父親が食堂を始めた。それからトラックの運転手が寄るようになってね。どういう経路を通るのか分からないけど、そのトラックは神田辺りの出版の取次から日本全国に運んでたのかな。昔、子どもの雑誌におもちゃの付録が付いてたでしょ。トラックの運転手がそれの余ったのをくれたんだよね。

土:その辺から出版の香りがしてくるんですね。

た:ただその時はそういう意識はなかったけどね。

『よるのおと』(偕成社)これまでたむらさんが培ってきたノウハウを駆使して作り上げた、美しい画面が印象的な作品。

 

たむらしげるのユーモア

土:子どもの頃、見てた漫画とかあるんですか?

た:手塚治虫と杉浦茂(*24)だったね。リアルタイムで『少年』(*25)に載ってた漫画を読んでました。今から思うと、当時僕よりもちょっと上の世代の人たちが「手塚治虫が新しい」って衝撃を受けたみたいだけど、僕はそういうことは特に感じなくて、ただ単に面白かった。手塚治虫と杉浦茂を分けてどっちが古いとか思ったことはなくて、同じように面白いなぁって思ってたね。

*24杉浦茂…19082000年。漫画家。1931年1コマ漫画『どうも近ごろ物騒でいけねえ』でデビュー。代表作に『猿飛佐助』などがある。第29回児童文化功労賞を受賞。

*25『少年』…1946年、光文社から発行された月刊少年漫画雑誌。

土:手塚治虫はストーリーテラーだけど、杉浦茂はあっち行ったりこっち行ったり、なんか不思議じゃないですか?

た:あの人はどっちかって言うとアーティストタイプだよね。手塚治虫はプロデュースとかディレクターとかそういった感じに近いかもしれない。杉浦茂はその場の思いつきを脈絡もなく描いて、それがやけに面白いんだよね(笑)。

土:純粋に子どものエンターテインメントっていう気分がなんとなくある。

た:僕は杉浦茂に絵本を描いて貰いたかったなって思うんだよ。

土:そういう機会があればよかったけど、タイミングとかもあったかもしれませんね。話は変わりますが、たむらさんは高校を卒業してから、桑沢で学んでますよね。きっかけはなんですか?

た:田無の工業高校の建築科を出てるんだけど、少しでも絵に近いところで学びたいなと。そっちのほうに進みたいなと思ってたんですよね。

土:じゃあ、もう絵を描くのはずーっと子どもの頃から好きだったんだ?

た:まあね、空想しながら絵を描くっていうね。

土:峠のあまり人のいないところで空想しながら絵を描く(笑)。もう1つ聞きたいのは、ユーモアがどっかに流れてるでしょ?

た:ある?(笑)。

土:ありますよ! ユーモアは欠かせないと思うんですよね、たむらしげるには。

た:ある意味でポエジーとユーモアって2つの柱だと思うんだよね。それがうまくブレンドされた感じなのかなと思うんですけどね。

土:最初は『漫画讀本』(*26)に投稿されましたよね、1コマ漫画かな。

*26『漫画讀本』…1954年、文藝春秋新社から発行された漫画雑誌。

た:(原稿を出しながら)これ雑誌に掲載されたものですよ。

土:これなんか相当グラフィックですね。

た:だいたい20歳前かな。

土:最初は投稿した作品が掲載されたんですよね。その当時は長さんとか井上さんとか『漫画讀本』で描いてて、ちょっとそこら辺の漫画家に憧れもあったんですか。

た:憧れありましたね。雲の上の人だったね。特に長さん、井上さんとか、梅田英俊さん(*27)もね。

*27梅田英俊…1938年生まれ。漫画家、版画家。第10回文藝春秋漫画賞を受賞。代表作に『嘘曼陀羅』などがある。

土:久里洋二さん(*28)も入ってますね。

*28久里洋二…1928年生まれ。漫画家、イラストレーター、アニメーション作家。NHK「みんなのうた」で数多く楽曲映像を手がけるほか、『ひょっこりひょうたん島』でアニメーションを担当。

た:入ってますね。アニメーションも好きだから、久里さんなんかすごく憧れたなぁ。

土:こういうユーモアのある漫画をなぜ描いたんですか。たむらしげるの作品にはユーモアを絶対に感じるんですけど。

た:『漫画讀本』とかあの辺で描いていれば、それだけで食っていけると思っていたんですよね。そういうところに進めて「それで生活出来ればいいなぁ」って漠然と思っていた。まあ実状を知ると、とてもそんな甘い世界じゃないんですけどね。

土:でも『漫画讀本』じゃなくて『ガロ』(*29)のほうに行っちゃうんですよね。

*29『ガロ』『月刊漫画ガロ』。1964年、青林堂から発行された漫画雑誌。

た:結局『漫画讀本』が休刊になって、他に発表の場がないかって『ガロ』の編集部に行ったわけだよね。今見せたようなものより少しコマ割りしたものを3回くらい持ちこみしたかなぁ。それでも結局「うちだとこういうもの載せられないんだよね」って長井勝一さん(*30)に言われて。それで1コマ漫画とストーリー漫画の中間の存在として4コマ漫画を描こうとしたんだけれども。当時つげ義春さん(*31)や佐々木マキさん(*32)なんかが活躍している時期と重なっていて、それを真似たような独りよがりなものを描いてたんだけど、単純に読者が見て楽しめるものを描いてみようかなぁと思って。結局、何を描いてもメディアに載らなければ何にもならないでしょ。そこから切り崩していこうかなって。それで「ネズミ族」(P4445掲載)を描いて、『ガロ』に掲載されることになった。

*30長井勝一…19211996年。青林堂の創業者で『月刊漫画ガロ』の初代編集長。

*31つげ義春…1937年生まれ。漫画家。1954年雑誌『痛快ブック』にてデビュー。
*32佐々木マキ…1946年生まれ。漫画家、絵本作家。1966年『ガロ』にてデビュー。漫画『うみべのまち』、絵本『やっぱりおおかみ』など。

土:(「ネズミ族」の原稿を見ながら)4コマ漫画ですね。たむら作品の面影があるというか、これが大本ですね。

た:8月の暑い時期に持ってって、南伸坊さん(*33)に見て貰ったんだよね。

*33南伸坊…1947年生まれ。イラストレーター、編集者。『山田風太郎明治小説全集』で第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞。

『漫画読本』(文藝春秋)に掲載された1コマ漫画。

 

初の絵本『ありとすいか』

土:「ネズミ族」はたむらさんが28歳くらいの時?

た:このネズミ族が掲載された『ガロ』が出たのが、1977年だからそのくらい。でも、これは最初の絵本を描いた後なんだよね。最初の『ありとすいか』が76年で、それと同じ時期。

土:じゃあ、ここらへんから絵本と並行して。

た:『ありとすいか』のほうが1年早いんですよ。

土:この絵本が福音館書店で出たのは、どういうきっかけだったんですか?

た:単純に持ちこみですね。電話かけて「絵を見て貰いたい」って言ったら「1冊にまとめて絵本の形にして持ってきて下さい。絵だけじゃ見られない」って言われて。

土:それは松居直さん(*34)ですか?

*34松居直…1926年生まれ。編集者、児童文学者。福音館書店の初代編集長を務め、月刊『母の友』『こどものとも』などを創刊。数多くの絵本作家を発掘した。

た:いや、佐々木利明さん(*35)、征矢清さん、もう1人いたかなぁ。その中で編集担当は佐々木さんになってね。佐々木さん、征矢さんは絵本の原作なども書いていますよ。

*35佐々木利明…1942年生まれ。編集者。

土:ちょうど福音館書店が「ペーパーバック絵本シリーズ」を始めようとした時なんですかね。

た:その企画にうまくハマった感じ。なんかむこうも待ってた感じで。そういう時ってあるよね。

土:あります(笑)。タイミングがすごくよかったんですね。

た:あのシリーズは、昔書店によくあったカラカラ回せる円筒のやつに挿して販売してたことが多かったみたい。最初ペーパーバックって言うから『こどものとも』(*36)かなぁと思ってたんだけど、まあ出ればどっちでもいいやと思って(笑)。

*36『こどものとも』…1956年、福音館書店から創刊された月刊絵本シリーズ。

土:佐々木マキさんのほうが福音館書店でのデビューは早かったんですか?

た:うん、早かった。もう『やっぱりおおかみ』は単行本になってたと思ったけど、どうだったかな。

土:『ガロ』時代に佐々木マキさんとの接触はあったんですか?

た:いや、なかった。もう佐々木さんが京都に引っ越した後だった。僕にとって佐々木マキさんは『ガロ』にああいう前衛的な漫画を描いているヒーローで、年齢も少し佐々木さんのほうが上なんだけど、先頭を切り開いていく印象があって、彼の作品を読んでも「よくこれ絵本として出たなぁ」っていう気持ちがあった。だから「子どもだけでなくて大人でも十分通用するような絵本をいつか自分も描いてみたい」という思いはありましたね。

土:たむらさんと佐々木さんってどこかで接触あるような気がしてたんですけど。

た:それが1度もないんだよね。あとはその時代で言うと鴨沢祐仁さんがデビュー作からいきなりあれだけの緻密な作品で、かなり衝撃でしたね。

土:僕なんかはトポール(*37)みたいにちょっと激しくてちょっとエログロでっていうのが好きなんだけど、たむらさんはやっぱりボスク(*38)が好き?

*37トポールローラントポール。19381997年。フランスの作家、漫画家。ブラックユーモアな作風で知られる。代表作に『ファンタスティックプラネット』などがある。
*38ボスクジャン=モーリスボスク。19241973年。フランスの風刺漫画家、イラストレーター。代表作に『Les Boscaves』などがある。

た:ボスクは好きだね。それからフォロン(*39)にいくんだけど、この2人は線描が似ているんだよね。シンプルで。若い頃よく真似して描いたけど、あの線が出ない。どうしたらそういう線が引けるのか不思議でしょうがなかった。

*39フォロン…19342005年。ベルギーの画家、イラストレーター。「第3回美術の中のユーモアトリエンナーレ」大賞受賞。日本各地でも展覧会を開催。

土:寡黙な漫画って言えばいいのかな。

た:ちょっとブラックも入っているんだよね。それとやっぱり1コマ漫画が好きだった。だからスタインバーグ(*40)とかジェームズ・サーバー(*41)なんかも好きで。でも、そういう漫画集とアクセスする機会ってそんなになかったんだよね。だから日曜日になると山奥からイエナ(*42)まで行って漫画集とかを買ってた。当時1ドルが360円の世界だから、すごく高かったなぁ。

*40スタインバーグソールスタインバーグ。19141999年。アメリカの漫画家、イラストレーター。漫画『ALL IN LINE』など。
*41ジェームズ・サーバー…18941961年。アメリカの漫画家。雑誌『New Yorker』の編集者。
*42イエナイエナ洋書店。1950年創業、東京銀座にある洋書専門店。2002年閉店。

土:山奥から銀座のイエナまで行って買ってたんだ(笑)。

た:1年間だけだけど、高校生の頃『New Yorker』(*43)を取ってたこともあるのね。だけど、中がほとんど広告なんだよ(笑)。週刊誌だから年間50何冊来るわけ。なんで僕でも購読出来るような安い値段でやれるのかなって、今なら分かるけど。当時は広告費だけで十分やっていける。でも、イラストレーションとか漫画がそんなに載ってないんだよね。中を見ても字とか広告ばっかでさ。たまに漫画が載ってるっていうそういう雑誌だった。あとは表紙目当てっていうのもあるけど。表紙がウィリアム・スタイグ(*44)とかスタインバーグももちろんあったけど、フォロンとかも出始めてたね。

*43『New Yorker…1925年、アメリカのコンデナスト社から創刊された週刊誌。
*44ウィリアム・スタイグ…19072003年。アメリカの漫画家、イラストレーター、児童文学作家。代表作に『ロバのシルベスターとまほうのこいし』などがある。

『やっぱりおおかみ』佐々木マキ作(福音館書店) 佐々木マキさんにとっての絵本デビュー作。佐々木さんはたむらさんにとって憧れの存在だった。

第3回に続きます)

 

〈プロフィール〉

たむらしげる/1949年、東京生まれ。絵本に『ありとすいか』(ポプラ社)『かたつむりタクシー』(福音館書店)、画集に『ファンタスマゴリア』(架空社)『水晶山脈』(アノニマ・スタジオ)、漫画集に『結晶星』(青林工藝舎)などがある。『よるのおと』(偕成社)で産経児童出版文化賞大賞、映像作品「銀河の魚」で毎日映画コンクール大藤信郎賞、「クジラの跳躍」で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞。

どいあきふみ/1957年、広島生まれ。フリーの絵本編集者として300冊以上の絵本を企画編集。若手作家の育成にも力を注いでいる。著書に『絵本をつくりたい人へ』(玄光社)がある。東京・吉祥寺にあるブック&ギャラリー「トムズボックス」を主宰していたが、同店は2017年に惜しまれつつ閉店した。

 


本記事は『イラストレーション』No.220の内容を本Webサイト用に調整・再録したものです。記載している内容は出版当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承下さい。

 

たむらしげるさんを50ページ以上の大ボリュームで特集した、イラストレーションNo.220はこちらからご購入いただけます。

第2特集は、たむらさんの憧れの存在だという佐々木マキさん。こちらも必見です。


関連記事