イラストレーションNo.206のなかから、中村佑介さんと山下真知子さんの親子対談を掲載します。
中村さんがイラストレーターになる上で、重要な影響を与えた母山下真知子さんとの初めての対談が実現。中村さんは子供の頃にどのように育てられたのか?
思い出話から教育論まで、貴重な話を一挙掲載。
(前編はこちら)
曲がってしまう環境
中 サイン会や講演会でも、卑屈になってしまっている子たちとよく出会うんだけど、僕にはその子達の気持ちがよく分かる。なんで曲がっているかっていうのがわかるんだよね。だって、人はそんなに強くないもの。例えば家に帰ったら「あんたが悪い」みたいなことを言われたら、それは曲がるに決まってる。僕も同じ環境だったら最初はスネて、それが卑屈にまで成長していただろうから、本来は一緒な特性な訳なんだよね。そういう変なことをわざと言っちゃう人とか、嫌味なことしちゃう人とかと。
暴走族している子とか不良の子とかでも一緒なんだけど。それって自己表現の単なるマイノリティな発露なわけでしょう。実は絵もそうで、絵なんて社会上で割と「特技」と見なされているからいいものの、嫌味ったらしいことを言うことがその子の特徴だったり、その子の長所だとその子が思ってたりとか、いろんな考え方がある。
母 うまく言えないけど、わかるよ。言ってることわかるんだけど、どういうふうに答えると、さっきの社会的な秩序と個性との棲み分けについての回答になるかな…。私は“警察”と“女の子の父親”から電話さえなければいいって言ってたの。責任とらなきゃいけないのはその時。だからって放任って感じの教育をしたわけでもないけど。
中 心の放任って感じかな。
母 でも私としては自由を尊重していたわけでもないけどな。結構厳しかったよ?(笑)。
中 なんか価値観に関して自分で決めるっていう自由はあった気がする。それが今、自分の作品において「なんでこの絵柄なのに、これをもってくるんだろう」っていうようなユニークな部分として見る人からは捉えられている。そういう部分っていうのが、明らかに何かから影響を受けたとかじゃなくて、子どもの時に「これでいいんだよ」って自分で自分に言い聞かせられるような価値観になってないと、やっぱりできないと思うんだよね。習うもんじゃないっていうか。こびりついてるものっていうかね。
母 うん。多分ね、私はあなたを育てる時に理屈をきちっと説明したと思う。それをあなたがどう理解するかは別として。そういうふうに育てたんだけれども、頭ごなしにこの子の歩こうとしている道に変化を加えようっていうことは、避けたと思う。
じゃあ、さっきからずっと言ってる子供の“秩序の部分と個性の部分”とを私はどうやって壊さないようにしてきたのって、それは価値観が開花しちゃえば本物になると考えていたから。人間はやっぱりどっかで、親や他人に考え方を変えさされちゃうわけなのね。私自身が変えさせられてきたし。芸大も親に反対された。私は若い頃、毎号この『イラストレーション』を買っていたぐらいだから、イラストレーターになりたかったんだけど、なれなかった。
中 絵を描いてたもんね。仕事をしながらもずっと。
母 うん。だから、親の価値観を押し付けてはいけないと思う。
イラストレーターは反対される職業?
中 美術系の専門学校とか、大学とかのキャンパス見学会で一番相談を受けるのは、実は絵の技術や業界の話などではなく、単純に親に反対されているとかそういう部分なんだよ。
母 さっき暴走族の話が出たけど、そういう子達とか、ちょっとスリップしている子達が、私のゼミにも来るんだよ。男の子はやんちゃな子が多くて、女の子は成績のいい子が来る。不思議なゼミで。でも、そんな個性の違う子たちが、コミュニケーションをとって、上手くいくようになる。私は社会っていうのは、自分が持ってないものを補ってくれる人が必ず出てくると考えてる。
さっきも言ったけれども、何かひとつその子の世界を具現化出来るような、フィールドがその子の頭の中にあるのであれば、それを守ってあげるのも子育てのひとつだと思う。だって大人の鋳型にはめてたら、せっかく産んだ子どもなのに面白くないじゃない。やっぱり子育ては面白がらなきゃダメだと思う。いい加減にするというんじゃなくて、楽しまなきゃ。新しいものが生まれてきてるわけだから。
中 自分じゃない、新しい命だものね。
母 そう。子どもは親の生きれなかった道を生きるっていうので、佑介たちも生きてくれてるわけよね。期待過剰でつぶれちゃう子も多いから、期待はしてないけど、期待以上のことをやってるもんね。もっと期待してあげなきゃいけなかったのかなとも思うんだけど(笑)。
編 中村さんがお母さんのしたかったことを、期待を上回るレベルで今している?
母 そうそう。私は留学もしたかったんですよ。結婚しなかったら。その夢を今度はお兄ちゃんの方がちゃんと留学もしてくれて、果たしてくれた。自分から「行きたい」って言って。だからなんでもかんでも佑介と彼の兄が、私がほんとに出来なかったことをしてくれた。特に佑介の芸大受験の時は、私がさせてもらえなかったことをさせましたよ、意地でも。「私は守る、この子の描きたいという絵を」って。だって私は「絵なんかやってどうすんの?」って言われて育ったから。
中 おばあちゃんにね。
母 うん。「仕事になりゃしない」って。これからの女性は仕事を持たなきゃいけないって。
中 でもツイッターで相談を受けたりしても、その部分だけで本来かなり伸びる子が伸びていないなっていうのをすごく感じる。特に親に褒められるのではなく、認められていない子の絵ってすごい止まっているというか、びびってる感じがあるんだよね。怒られるんじゃないか?っていう絵を描いてるんだわ。それで、大体の子たちがなんて言うかっていうと「親になんか絵を見せたことない」って。理由を聞くと「怒られる」とか「バカにされる」とかなんだよ。同時に「自分は違ったんだな」とも思うんだけれども。
母 うちは絵を描いたらみんなに見せまくって、みんなが褒めてくれてたからね。
中 うん。でもそれもやっぱり、そこまでの道がね。その筆を握り続けるにさえ辿り着けなかった子こそ、たくさんいるというかさ。
母 どうなんだろう、やっぱり根本的には、その子自身を認めるっていうのはその子の言葉に耳を傾けるってことだと思う。小さいなら小さいなりに主張もあるし。でも、私の場合は聞かなきゃいけないから聞いたのではなくて、面白いから聞いたというか、聞き出していたというか、子育てを楽しんでたんだよね。もう一つしてよかったなと思うのは、さっきも言ったけどちゃんとした素材を与えることよね。
中 まあ、言ったら「バカにしない」ってことだものね、それって。
母 そう。
中 「お前はチラシの裏に描いとけ」っていうのはバカにしてるもんね。
母 尊重するということだよね。その子にとってはその年齢で、一生懸命汗かいて描いてるわけだから。
中 大人が頑張っているのと一緒だからね。
母 そう一緒。
中 それなのにチラシの裏を与えられたらね。そりゃ、怒るし、静かに落ち込んで、やる気もそがれるよね。
母 お父さんも君たちが幼い頃から「こいつらもやがてヒゲをはやす男になるんだから、子ども扱いするなんてかっこわるい」って言ってた。だから2人がお父さんと一緒に出かけると、どっちか絶対けがして帰ってくるのよ。佑介なんて何度も溝に落ちてて、それでもお父さんは知らん顔して前の方歩いてるから、私は彼が2人の子どもを連れて出かけるのが心配で。
中 崖から突き落とすライオンの父親みたいな話だね(笑)。
母 そう。でも普通注意するよね? でも私が注意したらいつも「だってこいつらも間もなく大人になるんだから」って言ってた。たぶんそのあたりの考え方が夫婦で一致してたんだよ。やり方は違ってたんだけど。子供たちを家族の一員としてすごく認めてたというか。それは、根っこにあった。
子供に対して興味を持つということが大事かもしれないね。親だってその子の絵が上手いとか下手とかわからないもんね。だからこそ、興味を持って「すごい!」って誉めてあげなきゃ。
子供に関心を持って接することの大切さ
中 「どうなってるのこれ!?」って。
母 そう。関心を持ってやるってこと。絵以外のことでも何でも。それがやっぱり大事よね。佑介は、イメージ力が小さい時からすごくて、ミニカーとかウルトラマンを見て、ずーっと独り言で遊べる人だった。あなたの頭の中に映像があるんでしょう。だからイメージっていうか、映像が頭の中にあるんだけど、その映像をまだ幼いから具現化できないわけだよね。ウルトラマンの人形と、ミニカーでしか表現できない。だから、自分がやっと声色を変えて、ストーリー作ってるだけで。
それを文とか絵とかで表すことができれば、彼の世界がもっと広がると思ったから、その技術はつけようと思った。ただ才能で絵なんて描けないのよ。やっぱりまずイメージ力ないとダメだと思う。
あなたが中学2年生くらいの頃に「ゆでたまご先生の弟子になる」って言った時に「漫画っていうのは、ストーリーも考えなきゃいけないし、きっと大学でいろんなことを勉強したり、経験したりして、それが全部必要になる。漫画家っていろんなキャラクターを描かないといけないから。だからやっぱりね、中学卒業してゆでたまご先生のところにすぐ行ってもね…」って説明したのよ。
中 そりゃ、その時点ではどう考えても、ゆでたまご先生に「いらない」って言われるよね(笑)。
母 そうそう。「ちょっと早いと思うよ」って。傷つけないように説明した。だってあなたはすぐスネちゃうから。息子たちはお人形さんみたいだったわけじゃなくて、実は主張の強い人たちだった。だから、機嫌を損ねないように理解できるように会話してたね。気を使ってたわけじゃないんだけど、傷つかないような気は使ってた、ずっと。「ゆでたまご先生のところに行ってくれて、早くから稼いでくれるのはお母さん嬉しいんだけどね」とか言いながら(笑)。
オタクという言葉
母 でも今の中学2年生だったら、「そんな子ども騙しみたいな台詞を言って…」って思うかもしれないけど、うちの子たちって、昭和な子どもたちだったので、真剣に理解して「そうなのか」ってきっと考えたんだと思う。
あなたは高校も行くの嫌だって言ったんだけど、私は本当に絵についてとにかくトコトンやらせたかったから、そんなに好きなことがあるなら、近所に高校から大学にエスカレーターで上がれる学校があるから、そこを勧めてみたりもしたんだよ。「大学受験を考えなくていいから、絵に集中できるよ」って。それとか、デザイン科がある高校とかも考えた。
中 そうなんだ。全然覚えてなかった。
母 私は「そこに行く?」って聞いたの。そこだとデザイン科で、そういう人たちばっかり集まってるから、今より生きやすいだろうって。クラスの中で絵のうまい子って生きにくいじゃない。それは私の育て方以前に生きにくいのよ。何が生きにくいかっていったらいじめられることじゃなくて、価値観が違うから、周りと。
中 だからこそ高校くらいになると絵を描く子は、いじめのターゲットにもなりやすい。
母 そうなんだ。それはもしかしたらあれだよ、その子らが持っていない、表現力っていうのがあるからじゃない?
中 それもあると思うんだけど、もっと単純に「オタク」っていう言葉が出てきたのが、ちょうど僕たち中学とか高校に上がる時なんだよ。
母 そうだったね。
中 「絵を描く→アニメ・漫画好き→暗い→オタク→弱者」みたいな。そういうネガティブなイメージが絵のまわりに出来上がったのが僕のちょうど思春期の頃だった。僕もすごい嫌なことをいっぱいされた。それまでキン肉マンの絵が上手く描けたら、クラスの人気者になれたのに、その転落ぶりがもう半端なくて。みんな絵を描いてて、絵が好きだったくせに急に、なんだこいつらと思った。だから高校もよくさぼってた。
なんかつまんないなと思って。価値観がそんなにコロっと変わってしまう人たちとは、付き合っててもしょうがないなと思った。だからその時間は、画塾に行ってた。早めに行って、浪人生に混じって。
母 今ならもしかしたら通信制か何かに行って、大検とって芸大行ってるかもしれないよね。今の時代だったらね。もしかしたら、こんなに不登校が当たり前の時代になってたら、あなたも不登校だったかもしれないよね。わかんないけど。だってつまんなそうだった。全然心配したことなかったんだけど。それはなんか秩序を、守ってたんだよね?
中 学校はね、行ってたんだけど、学校に行ってただけで教室に行ってないんだよ。ほとんど。
母 そうなの? 勉強してないの?
中 外出はしてたけど、4時間目とか5時間目までずっと、非常階段のところで、ラジオのテープをずっと聴いてた。それかゲームセンターに行くか。
母 それでよく卒業できたね。遅刻200何日って通信簿に書かれててびっくりした!
中 最初に全部計算したんだよ、こんだけ遅刻しても、赤点さえとらなければちゃんと卒業できるって。だからちゃんとメモに書いた。授業に出なくても、もうその時には進路が決まっていたというか。その人たちは人生に直接は関わることもないなと思っていたから、どうでも良かったんだけど、先生からお母さんに連絡が来て、困らせるのだけは嫌だなとは思ってた。それ以外なら、まあ何とかなるだろうって感じで。
母 言われてない言われてない。でも、その時に言われてたって、怒ってないんじゃないかな。悩んだかもしれないけど。「どうして?」って。頭ごなしに怒ったりしないと思うけど、一応隠してたわけでしょ。それって秩序じゃない? 悪いことってわかってるってことでしょ。
中 分ってた。学校が面白くなかったのは、こちらの勝手な価値観の理由だしね。早い話、自分が一番頑張っている絵を評価してくれる子供も大人も学校には常にいない。美術の授業って、日本ではただの自由時間なんだよ、絵を描かせるだけ。だからそういうところでは、静かにさえしておけば、頑張っていない子でも悪い点数はつかないじゃない。だからそんな環境では話が通じないって当たり前だから、つまらない。
言葉よりも絵の方が得意だったので。学校で友達といるとそりゃ楽しいんだけど「なんで学校に来なきゃいけないんだろう?」っていうのはずっと思ってた。
編 普通、若い頃から漫画家とか絵を描く人になりたいと思っても、社会人になって会社に勤めるかもしれないから勉強しておこうかと保険をかけたりする人が多いと思いますが、中村さんは単位を計算してあとは絵を描いていればいいっていう判断をしていて、そういう迷いのなさがあると感じます。
母 うーん、どうなんでしょうね、確かにないね、迷いが。
編 普通友達や周りに言われたりしたら変わってしまうと思うんですけど。
母 もしそう言われたら、たぶん家に帰って「いい大学に行くことは意味があるの?」って私に聞くと思う。そこで話しているでしょうね。そういう会話の記憶はないけれど。外で言い返したりする子じゃないので。受け止めて、どうしても自分の中で不消化だったら、たぶん「お母さんあのね、こんなん言われたんだけどどう思う?」って言うと思いますよ。
受験“塾”じゃなくて「研究所」という名前の美術予備校(※3)に通わせてたんですね。高校の時。その時でも家に帰ってきたら、ご飯食べればいいのにそれももどかしく、ずっと研究所の話をしてました。とにかく私によく話をするっていう息子たちでした。だからその時に、お父さんも同じ質問されてたら「それはその人によって価値が違うだろうね」っていう言い方をしていたと思います。それって、すごく一方では赤ん坊扱いをしていたんですけど、一方で個の人間として認める育児をしたかもしれないですよね。
編 ご両親に認められてたから、中村さんはぶれなかった。
母 だと思いますね。最後は、どっちかが守ってくれるぐらい思ってたかもしれないですね。
中 でもなんか最終的に、どんな漫画家さんとかイラストレーターさんとか、または目指している人に会っても、その人の言う「世界」って実は「親」に全て言い変え可能で子どもの時点では。だから、ぶれるって何かっていうと、親がぶれてんだよ。
母 そうだね。
中 うん。世界を憎んでいるような人がいるけど、実はそうじゃなくて、親を憎んでいるだけなんだよね、ほとんどは。「このクソったれな世界」なんて言うけど、よくよく話を聞いたら、親とうまくいってないだけだったとか。
母 多いね。
中 まぁ、上手くいってるいってない別にして、そういうところに興味あるんだよね。対談の相手が同世代でも若い子であっても、お父さんお母さんがどういう人なのか、そこが気になる。
友達から影響を受けるようなことって、その時の流行であって、その後30歳になって小学校5年の時に友達から勧められた漫画を今も好きって滅多にないもの。いつも、自分の作品としては、いろんな人やものから影響を受けて、変容していくんだけど、一人間として影響を受けている部分って、いろんな人に会えば、それだけ影響を受けているんだろうなと思いきや、やっぱり最終的にはお母さんが言っていたことだとか、お父さんが言ってたことが全てだと今も思っちゃう。
※3…総合美術研究所。美術家・竹中保によって開所。「ソービ」の通称で、近畿一円に教室を構え、数多くの美術家を輩出した美大予備校。2004年に閉所。
中村さんが怒ること
母 元々イメージ力って子どもは持っていて、感受性も高い。それをすごく大事にしたっていうのはある。それは意識した。言葉、表現手段っていうのも出来る限り言葉で話して聞かせたり、絵本の読み聞かせをしたりとか、普通の親がやるようなこともしたけど、それが小学校1年生になったら、1年生バージョンに変わるだけで、2年生になったら2年生バージョンに、その時その時の彼の、ファミコンだとか、そういうものの一番興味のある部分に分け入って、一緒に遊んだりとか、教えてって言ったり、子ども目線に降りるっていうのはいつもやってた。
例えばいくつになっても子どもは子ども、親は親って言うでしょ。でも違うんだよ。お父さんが「こいつらはいつかひげが生える」って言ったように、違うんだよね。私は、私なんですよ。彼らも彼らで。子どもは幼稚園の時のお母さんと、2年生になった時のお母さんって、存在として近づいてると思ってるけど、実は歳の差は近かづかないから、親たちは変わっていないと思う。でも子供たちは近づいていると感じる。つまり2人の距離、2人の関係性は常に変容しているんですよね。だから対応の仕方を変えないといけない。それをどうやって変えるかっていうのはすごく苦労した。いつもこの人たちの年齢を意識して。この人たちが近づいてきているんだっていうイメージを持って「今はこういう風な話し方をしないと、バカにされたと思うだろうな」とか、それはすごい気を使ったよね。
中 なんかそのせいかわからないけど、僕が唯一、怒る時っていうのはバカにされた時だから。ほとんどのことで大抵怒らないんだけど。
母 どんなことでバカにされたと思うの?
中 例えば仕事で、自分の描いた作品が勝手にどこかで出てるとか。そういう時、すごい怒る。
母 それはそうだよね。
中 なぜなら、絵は僕だから。僕自身より僕を雄弁に語っているから。
母 勝手に誘拐しないでみたいな。
中 子どもが誘拐されたのと一緒。バカにしてるんだと思って。2次使用でお金貰えなかったとか、全然そんなことじゃなくて、2次使用する際に何も言わなかったことは、どういうことなのかっていうのを分からない人がいるんだっていう時点ですごい冷めちゃうというか。
でもイラストレーションだから仕事なのか芸術なのかっていう曖昧な部分も関係しているかもしれないけど、作者としては別に、結果としてそれが仕事になっていたりとかするだけで、別に芸術家であろうがイラストレーターであろうが、ロックミュージシャンであろうがCMの音楽を作っている人であろうが、全部変わりないというか、出口が違うだけで、同じ大切なものでしょう。そういうことが、また伝わらなかったんだなとか思って、寂しい気持ちになる。
こんだけ一生懸命、三日三晩、頭も痛くなって描いたのに、そんな扱いなんだと思うと、やっぱりそこはね、怒る。僕じゃなくて、僕の作品がないがしろにされるのは一番許せないよね。
今が脱皮の時期
母 なるほどね。うまく言えないんだけど、やっぱり、子どもは大人になって、近づいていると思っているけど、一般の親って子どもは子どもだろって思ってるから、常にぞんざいに子どもに言ってしまう。特にネガティブに腹が立ったりした時なんかは。それはすごく乱暴なやり方じゃないかなって、絶対自分はやらないってこだわったところだね。
中 なんかそれとまったく同じことが、仕事してても起こっていて。「子どもは子どもだろっていうのと、絵は絵だろ」っていう。まあ言い換えたら、絵は遊びなんだから、こんなん俺たちが勝手に使ってもいいじゃないかみたいなところって、本当に日本人の85%ぐらい思ってるというか。もう本当にそれは、どうしたらいいんだろうって。なんか絵以外ではあまり聞いたことがない認識というか。だって、漫画家は先生って言われる。
母 イラストレーターの地位が低いっていうこと?
中 まさにそう。ほとんどの人はイラストやデザインに価値がないと思ってる。社会的にどれだけ重要な役割を担ってるかって、例えばトイレのマークが無くなってみて初めてみんな気付くと思うんだけど。
母 たぶん今、あなたはちょうど次の脱皮の時期だと感じてる。だからそういう部分にもすごく敏感になる。でも佑介は私のことを母親として見ているから、母親からそんなことを言われたくないんだろうなとは思うんだけど、私はすごい客観的に見てて「いよいよだね!」ってこの前聞いたら、本人も「いよいよかなって思ってる」っていうような話をしてくれて、嬉しかった。すごく抽象的な親子間の会話で読者の方には伝わらないと思いますが(笑)。だからあなたがどうなっていくか、そしてその問題をどう解決していくのか、とっても楽しみにしてる。
〈プロフィール〉
なかむらゆうすけ/1978年生まれ。兵庫県宝塚市出身。大阪芸術大学デザイン学科卒業。ASIAN KUNG-FU GENERATION、さだまさしのCDジャケットをはじめ、『謎解きはディナーのあとで』、『夜は短し歩けよ乙女』、音楽の教科書など数多くの書籍カバーを手掛けるイラストレーター。ほかにもアニメ「四畳半神話大系」や「果汁グミ」TVCMのキャラクターデザイン、セイルズとしてのバンド活動、テレビやラジオ出演、エッセイ執筆など表現は多岐にわたる。http://www.yusukenakamura.net/
やましたまちこ/大学時代「詩とイラスト」の個展活動を機にインテリア雑貨デザイナーとしてメーカーに起用される。結婚、出産、子育ての傍らアパレル業界でデザイナー、カラーアナリストとして25年を経たのち大学院進学。色彩環境心理学の分野で博士号取得。現在は大手前大学教授。博士(生活環境学)。
本記事は『イラストレーション』No.223の内容を本Webサイト用に調整・再録したものです。記載している内容は出版当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承下さい。
中村佑介さんの母・山下真知子さんの新刊『アタシの昭和お洋服メモリー』(ドニエプル出版)が発売されました。イラストレーションはすべて山下さんが、またデザインは中村さんが担当しています。