漫画家デビュー、会社員、そしてイラストレーターへ。ヒョーゴノスケさんの過去といまに迫る、初のロングインタビュー(最終回)

イラストレーションNo.216の特集「多様化するイラストレーション」のなかから、ヒョーゴノスケさんのインタビューを全3回にわたって掲載します。

第1回第2回はこちら)

(連載のまとめはこちらから)

 

高校時代に漫画家デビューし、数々の著名漫画家の元でアシスタントを経験。

その後、ゲーム会社に転職して、2017年からフリーのイラストレーターになった。

さまざまな業種を経験したからこそ、現在のヒョーゴノスケさんの作風がある。

その画風はどのように培われたのだろうか。初のロングインタビュー。

 

丹地陽子さんとの仕事

——「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」のポスターがすごく話題になりました。流氷の上にドラえもんたちが乗って、大きな氷山を見上げているポスターがあったと思うんですが、その印象がすごく残っています。

 実はあのポスターを描いたのは僕ではなくて、僕が描いたのは元となるイメージボードなんです。その時のイメージボードは横長の絵なんですけど、ポスターは縦長なので構図などいろいろ変更してあるんです。あのポスターが発表された当時、僕のことをほめてくれる人がたくさんいたんですけど、たしかに関わってはいるけど、あのポスターを最終的に描いたのは僕ではないし、ポスターにしようと思って描いたわけではなかったので、ちょっと複雑な気分でしたね。

——そうなんですね。同作品のイメージボードの仕事は、どういった経緯で依頼されたのでしょうか。

 まず、イラストレーターの丹地陽子さんから突然メールが届いて、「長編映画のイメージボードを一緒にやりませんか」と誘われたんです。どんな映画なのか分かりませんでしたけど「興味があります」という返信をして、電話で詳細を教えて貰いました。

 丹地さんが一緒にイメージボードをやってくれる人を探していて、Twitterで僕の絵をよく見かけていたらしく、僕に声がかかったという感じです。丹地さんのことは以前から尊敬していたので、突然連絡が来て驚きました。

——ボリュームとしてはどれくらい担当されたんですか?

 最初はお互い描きたいシーンを描けるだけ描くという感じでしたが、中盤以降は丹地さんと半々でしたね。絵を描くべきシーンがざーっと洗い出されて、2人で半分ずつ。「こことここは丹地さんで、こことここはヒョーゴノスケさんにお願いします」という感じで。

——その打ち合わせは監督と丹地さんとヒョーゴノスケさんの3者で進めたのでしょうか?

 そうですね。基本的には僕と丹地さんと監督とプロデューサーで打ち合わせをしていました。月に2回くらい集まってましたね。監督からストーリーの説明をして貰って、分担を決めて持ち帰って、次の打ち合わせまでに描き上げる。その連続でした。

——今までの映画版「ドラえもん」と違う雰囲気のポスター、ビジュアルだったと思います。監督からディレクションがあったのでしょうか?

 最初に監督から伝えられたのは「ドラえもんの映画では、イメージボードとかコンセプトアートというのは今までやったことがないので、今回そういうものを初めてやろうとしている」ということでした。それから「こんな感じをイメージしている」という画像をいくつか見せて貰ったんですが、それがまさに自分が描きたいものだったので、本当に楽しみながら描くことが出来ましたね。

——丹地さんと一緒にコンセプトアートを担当することになるわけですが、ライバル意識じゃないですけど、頑張らなきゃという気持ちはありましたか?

 丹地さんはずっと尊敬していた方なのでライバル意識はまったく無いですね。足を引っ張らないよう頑張るのみでした。いつも電車で一緒に帰っていたんですが、なぜ自分の隣に丹地さんが座っているんだろう……これは現実なのだろうかと思ってました(笑)。

 

児童書の装画を描くこと

——児童書の装画の仕事が多いですよね。

児童書って他の書籍とはちょっと違うジャンルだと思うんですけど、児童書の装画を描く時に、気をつけていることはありますか? 

 編集者の好みもあるのかもしれませんけど、「キャラクターはなるべく大きく描いて、読者の方を見るようにして欲しい」という指示が多いですね。でもあまり指示を忠実に守って描くと、全部が似たような構図の絵になってしまうので、そこは試行錯誤しています。ただ、そういう指示をされるのは、やっぱりその方が売れるからという経験則があってのことなので、難しいですよね。

 聞いて興味深かったのが、『暗号クラブ』の1巻と2巻では、売上げに大きな差があったみたいなんです。2巻のカバーイラストって、ちょっと不穏な雰囲気なんですよ。「キャラクターが全員後ろを振り返っていて、何かに追われている」という感じにしたんです。それが売上が下がった要因なのではと編集者が分析していました。やっぱり子どもって、本のなかで「キャラクターがひどい目に遭うんじゃないか」というのが嫌みたいなんです。ですから、内容がどんなに恐ろしいものでも、「表紙はちょっと明るい雰囲気にして下さい」っていう指示はありますね。

——編集者目線で考えると、怖い話を明るくかわいく描いて欲しいという意図はありますよね。

 それはあると思います。『ぼくはこうして生き残った!』という児童書シリーズの装画も描いているんですけど、この本では9・11事件とか東日本大震災とか、人が死ぬような事件を子ども向けの物語として書いているんです。それで、担当者から「ヒョーゴノスケさんのかわいい絵じゃないと、子ども向けの本としては怖くなり過ぎるので、ぜひお願いしたい」と言われました。

(上)『暗号クラブ 〈1〉 ガイコツ屋敷と秘密のカギ』、(下)『暗号クラブ 〈2〉 幽霊灯台ツアー』共にペニー・ワーナー著/番由美子訳(KADOKAWA)装画

 

絵を描くだけで終わらない

——装画を描かれる時に、より作品の世界観を理解するためにやっていることはありますか?

 装画を担当する本はすごく読みこむようにしています。読んでいて変えた方がいいと思ったことを編集者に伝えて、変えてもらったこともあります。たとえば『ホラー横丁13番地』だと、主人公3人の名前のうち、2人の字面がかなり似ていたんです。それで、「名前が並んだ時に、見分けがつきにくいので、こうしませんか」と提案したら、それが通ったんですよ。

 他の作品でも、キャラクターのファッションが描写されるシーンがあるのですが、最初に登場した時は紺のジーンズをはいていたのが、後で白いジーンズになっていたんです。「この物語って日をまたぎますか」って編集者に聞いたら、「いや、1日のなかで起きる出来事だと思います」と言われたので、「何かおかしくないですか」って。僕はやっぱり絵を描いているので、全部ビジュアル化しながら読むんです。だからそういう部分が気になってしまって。ただ絵を描くのではなく、よりよい作品にするための提案が出来たらと考えているんです。

 あと、『暗号クラブ』はアメリカの現代の話なんで、グーグルマップで必ず舞台となる場所を巡り歩くように見ています。原作者であるアメリカ人の方に、「話の舞台は本当にあなたが描くそのまんまです。なんでそんなに詳しいんですか」って聞かれて、「グーグルマップのおかげです」って答えたらすごく笑ってました(笑)。

——それって編集者の立場から見ても、すごく助かりますね。冷や汗はかくでしょうけど。

 そういうことって挿絵などを描いていても本当に恐ろしくて、たとえば後半急に「え、このキャラ左利きなの!?」みたいなのがあったりするんですよ。それ以前にスプーンを右手で持っているシーンを描いてしまっていたりすると、大変なことですから。

——最近Twitterで発表している漫画がかなり話題になっていますけど、もう1度チャレンジしたいと考えたりしないのでしょうか。

 漫画を描くのはつらくて、もう2度と描くことは無いと思っていたんですが、Twitterにアップしている漫画は楽しく描けています。締め切りが無く、描きたいと思ったものを描きたい時に描くなら描けるんだということが分かりました。でも今は漫画よりイラストレーションの仕事をもっともっとしたいです。

——特にやってみたい媒体とかありますか? 広告や、装丁、雑誌の表紙などいろいろあると思いますけど。

 どんな媒体でもやりたいですけど、自分のオリジナルの作品が世に出るとうれしいですね。「ラブライブ」や「ドラえもん」はすでに大人気のコンテンツを僕が描いているということなので、オリジナルで自分の代表作になるようなものが生まれるといいなぁ、と思っています。

ヒョーゴノスケさんがTwitterで発表し、人気を集めている漫画。

 

〈プロフィール〉

ヒョーゴノスケ

イラストレーター。高校生の時『週刊少年ジャンプ』で漫画家デビュー。その後、ゲーム業界へ転職。10年間勤務した会社の制作部門の解散をきっかけに、フリーに。主な仕事に「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」ポスター、『暗号クラブ』シリーズの装画などがある。

Twitter@hyogonosuke


本記事は『イラストレーション』No.216の内容を本Webサイト用に調整・再録したものです。記載している内容は出版当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承下さい。

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