イラストレーションNo.217に掲載された、イラストレーターの丹地陽子さんと、グラフィックデザイナーの坂野公一さんとの対談を、全3回にわたってお届けします。
これまでになんと1,000冊以上の書籍装丁を手がけてきた坂野さんと、同じように日々膨大な仕事をこなす丹地陽子に、お互いの作品の魅力についてをざっくばらんに語っていただきました。
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text:島田一志
キャラクターを描く
坂野 現在の丹地さんは小説の装画や挿絵を描かれることが多いと思うのですが、それは単に絵を描くというだけでなく、ある意味でキャラクターデザインの領域にも踏みこまれているわけですよね。極論を言えば丹地さんのキャラが物語のイメージを左右するわけで。キャラクターの造形について著者の方と事前にどれくらい打ち合わせをしますか?
丹地 実はほぼしていなくて、かなり自由にやらせて頂いています。たとえば『小説の神様』(講談社)については、「著者の相沢沙呼先生は太ももにこだわりがある」という情報を事前に得ていたので、「女の子の脚はなるべくきれいに描こう」というその程度です(笑)。もちろんリテイクを頼まれることもありますけど。これは想像なのですが、ライトノベルの世界でイラストを描いている方たちは、そのあたりのプレッシャーが大きいんじゃないかと思いますね。キャラクターのヴィジュアルが本の売れゆきに影響する世界だと思いますから。
坂野 キャラクターのデザインについては、著者以上に編集者でこだわる方もいらっしゃいますよね。たとえば『断貧サロン』(谷川直子著/河出書房新社)の時がそうでした。打ち合わせの時に編集者さんが、ここに2人の男女がいて、女性はこういう格好でっていうのをひたすら喋られていたでしょう。で、それを丹地さんが「はい、はい」って言いながら淡々とメモしてるという(笑)。
丹地 オーダーをとっている状態ですね。毎回だときついけど、たまには面白いですよ(笑)。
坂野 驚いたのは、後日上がってきたイラストを見たらその時に編集者さんがおっしゃってた要望がそのまま具現化されてたこと。まさに「プロの仕事」って感じでした。なかには打ち合わせで「はい、はい」と言いながら後でまったく違う絵を上げてくる人もいるわけですよ(笑)。もちろん、それでよい方向に転ぶなら大歓迎なのですが、そうでない時はどうしたものかと頭を抱えます。丹地さんは、受けた仕事をどう消化するかについてこだわりはありますか。
丹地 編集者にせよ著者にせよ、最初に要望があるならなるべくそれに応えたいと思っています。『断貧サロン』の絵については、打ち合わせで編集さんに言われたことに納得したというのもありますが、要望を取り入れながらも自分の味をところどころに入れながら描いたので、結果的には満足した自分の絵に仕上がっていると思います。
坂野 そのバランス感覚がいいんですよね。誤解を恐れずに言わせて貰えば、デザイナーの目から見て丹地さんの絵に惹かれるところは、キャラクターの個性が強すぎもしないし弱すぎもしないというところなんですよ。あまりクセが強すぎたり漫画っぽかったりすると、そこに意味が生じてしまい、本の装丁には使いづらくなる。かといってなんの個性もない絵を使っても面白くない。そこのバランスがね、丹地さんの絵は絶妙なんです。よく見たらキャラクターの顔のレパートリーも何パターンかあるでしょう。
丹地 ええ、原稿をまず読ませて頂いて、この物語ならこのパターンのキャラかなっていうのを考えて描いています。だいたいはゲラを読んだ時点でイメージが浮かぶんですけど、そうならない時は、そのキャラと同じくらいの年齢の役者さんの顔を参考にすることもありますね。
「黒猫シリーズ」が転機に
坂野 プロになる前に誰かの絵から影響を受けたりはしましたか?
丹地 今描いている絵からは想像出来ないかもしれませんが、高校生の頃はメビウスが大好きでした。当時はみんな好きだったと思いますが。ただそっち方面では寺田克也さんという偉大な方がすでにいらっしゃるので、私はもういいかと(笑)。実は一時期メビウス風の絵ばかり描いていたんですよ。
坂野 その当時の絵も見てみたい気がしますね。では、プロになった後、この仕事が自分としては転機だった、みたいな1冊はありますか。
丹地 早川書房の「黒猫シリーズ」(森晶麿著)(P.22掲載)ですね。今でも「『黒猫』みたいなタッチの絵を描いて下さい」と依頼されることが多いです。「黒猫シリーズ」は森先生の代表作でもありますが、私にとっても大切なシリーズになりました。
坂野 そう言われて改めて拝見しますと、確かに丹地さんのエッセンスが集約されていますね。お仕事以外の絵を自由な時間に描くことはありますか?
丹地 仕事と仕事の合間に、スキを見つけては落描きしています。私は毎日描いてないとダメなんです。下手になりそうな気がして……。このあいだ旅行に行って数日絵を描けないことがあったんですけど、なんとなく下手になったような気がしました(笑)。
坂野 アスリートじゃないんだから(笑)。でもまあ、分かる気もしますね。その旅行中にはスケッチとかもしなかったんですか?
丹地 ええ、仕事の旅行だったのですが、観察したり写真を撮ったりする方を優先しました。
坂野 今ではいろいろなジャンルの絵を描いていると思いますが、描きやすい絵ってありますか?
丹地 昔は異世界を舞台にした絵の方が得意だと思ってたんですけど、最近は現代を舞台にした普通の人物像の方が描きやすいです。日常のなかのふとした仕草とか。人によっては描いててつまらないと思うような構図かもしれませんけど、私としては今はそういう絵が面白いですね。頭のなかだけで想像するのでは限界があるので、時々街に出ていろんな人の写真を撮ったりしてます。
坂野 なるほど、写真を介することで絵にリアリティを持たせているんですね。Instagramにアップされた作品を拝見すると、何気ないシチュエーションやポーズの人物が多いですが、どれも非常に魅力的です。特に構図や間のとり方、視点の据え方が絶妙で。
明朝体が美しい坂野デザイン
丹地 逆にこちらから伺いたいのですが、坂野さんのデザインされた本を拝見すると、タイトルや作者名などで使われている明朝体の美しさが印象に残ります。文字だけで構成されているものはもちろんですが、イラストと文字を組み合わせている場合でもそれを感じますね。
坂野 たしかに明朝体へのこだわりはありますね。特に多く使っているのが「秀英初号明朝」という書体です。ルーツを言えば、これはもともと活字の書体で、僕の師匠の杉浦康平さん(*3)が大好きな書体なんですよ。かつて『季刊銀花』(文化出版局)っていう杉浦さんがデザインした雑誌があったのですが、その表紙にはこの書体がメインで使われていて。やがて活字から写植の時代になった時、杉浦さんは写植メーカー(写研)の社長に「これを写植書体にしてくれ」ってお願いしたそうなんです(笑)。で、写植からDTPの時代になってまた同じ問題が起きたわけですけど、今はモリサワと大日本印刷のおかげでまた使えるようになりました。パッと見た感じのデザインの印象は、杉浦さんのものと僕のものとでは違っているかもしれませんけど、実はこの秀英初号明朝を駆使するという点など、師匠から受け継がれている部分は少なくないと思いますね。
*3…1932年生まれ。グラフィックデザイナー。神戸芸術工科大学名誉教授。1955年東京藝術大学卒業。アジアの伝統文化を紹介する展覧会の企画構成や図録を手がける。2002年まで『季刊銀花』(文化出版局)のデザインも行なった(現在は休刊)。
丹地 ゴシック体など、もっと強いフォントを使いたい時はありませんか。
坂野 時には使いますけどね。ただ、この秀英初号明朝は明朝体の中では1番強いものの1つなんですよ。最近の若いデザイナーからは「坂野さんみたいに、こんな太い明朝体を思い切って使えない」って言われます(笑)。今の主流は細めの明朝ですから。細い明朝は大きく使ってその隙間から絵を見せたりとか、いろいろ使い勝手はいいんですけどね。
丹地 でもあえて師匠ゆずりの太い明朝でいくと。
坂野 まあ単に好きだっていうのが大きいですけどね(笑)。それでも本のイメージと合わないような場合は、今言ったようにゴシックや他の書体も使うし、新たにロゴを作ることもあります。
(最終回に続きます)
〈プロフィール〉
たんじようこ/イラストレーター。東京藝術大学デザイン科卒業。主な仕事に『黒猫の遊歩あるいは美学講義』(森晶麿著/早川書房)、『燦〈1〉風の刃』(あさのあつこ著/文藝春秋)、『闇の左手』(アーシュラ・K・グィン著、小尾芙佐訳/早川書房)などの表紙イラストレーションがある。2016年には西荻窪のギャラリー「URESICA」にて個展を開催した。
さかのこういち/welle design代表。グラフィックデザイナー。兵庫県出身。神戸芸術工科大学卒業。SONY株式会社、杉浦康平プラスアイズ勤務を経て、2003年に独立し、welle designを設立。
本記事は『イラストレーション』No.217の内容を本Webサイト用に調整・再録したものです。記載している内容は出版当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承下さい。
丹地陽子さんを40ページにわたって大特集した、イラストレーションNo.217はこちらからご購入いただけます。
作品紹介では、森晶麿さんの『黒猫シリーズ』やあさのあつこさんの『燦』の表紙原画を含む30点以上の原画を収録!