漫画家デビュー、会社員、そしてイラストレーターへ。ヒョーゴノスケさんの過去といまに迫る、初のロングインタビュー(第2回)

イラストレーションNo.216の特集「多様化するイラストレーション」のなかから、ヒョーゴノスケさんのインタビューを全3回にわたって掲載します。

第1回最終回はこちら)

(連載のまとめはこちらから)

 

高校時代に漫画家デビューし、数々の著名漫画家の元でアシスタントを経験。

その後、ゲーム会社に転職して、2017年からフリーのイラストレーターになった。

さまざまな業種を経験したからこそ、現在のヒョーゴノスケさんの作風がある。

その画風はどのように培われたのだろうか。初のロングインタビュー。

 

ゲームの世界へ踏み込む

——漫画家のアシスタントを辞めてゲームの世界に行きますが、何がきっかけだったのでしょうか?

 漫画家になりたいという夢はあったけど、描きたい漫画があるわけじゃないことに気付いたんです。そんな時、プレイステーションとセガサターンが登場したんですね。プレイステーションやセガサターンのポリゴンを見た時に、素直に「これはすごいな」と。それでポリゴンを使ってゲームを作ってみたいと強く思いました。ゲーム会社は、絵が描けるならデザイナーとして雇ってくれるという感じだったので、じゃあ応募してみようと履歴書を出したんです。

—— 何社くらい受けたんですか?

10社ぐらいに履歴書を出して、一番最初に連絡が来た会社に就職することにしました。その会社では、車ゲームを制作しました。僕の担当は、基本的には3Dポリゴンで背景デザインをすること。それと絵が描けるので、キャラクターデザインもさせてもらいました。

——それまではずっとアナログで描かれていたじゃないですか。ゲーム会社に入って、急にパソコンで作業となると大変じゃなかったですか?

 最初はパソコンの電源の付け方も分からないし、シャットダウンと言われても分からない。そもそもディスプレイとキーボードのセットがパソコンと思っていたら、横にある箱こそが本体だということを入社してから知ったくらいです(苦笑)。マウスも何もかも初めてで、最初の数日は教えてもらいながらでした。

—— どういったソフトを使用していたのでしょうか?

 その当時からPhotoshopを使っていました。3DLightWaveSoftimage3D Studio Max、この3つを使っていました。

—— この頃からデジタルでイラストレーションの制作を行っていたということでしょうか。

 僕は紙にペンで絵を描いてきた人間なので、最初のアイデアスケッチやラフの段階では、いまだにアナログで描いていますね。スケッチを描いて、その後にパソコンに取りこんで清書しています。

 

ネトゲ廃人になる

—— ゲーム会社では、何年くらい働いたのでしょうか?

 まず最初に入った会社でドリームキャストのゲームを1本作り、その後会社を移ってXboxのゲームを2本作りました。ゲーム業界に就職して5~6年でしょうか。その後会社が解散になり、2年間ネットゲーム廃人をやってました。

—— 2年間もネットゲームをした後にその生活を抜け出すのって、大変じゃないですか?

 本当に大変でしたね。まず、お金がなくなって死にそうになるわけですよ。2年くらい経って貯金がなくなって、ようやく「これはやばい本当に死ぬ!」と気付くんです。さすがに生命の危機を感じると、働かざるを得ないと焦り始めるんですが……

 その頃、mixiが流行っていて、「やばい、死ぬ!」というようなことを書きこんだら、セガにいた知人が「龍が如く」の背景を担当していて「いい仕事があるからうちに来てよ!」と誘ってくれたんです。早速連絡を取って、セガで3~4カ月くらい背景制作の作業をしました。

 その頃、セガにあの「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」(*5)を生み出した中裕司さんという有名なクリエイターがいたんですが、その中さんが独立するという話をちょうど聞いて、中さんの設立した「PROPE」で働くことにしました。PROPE10年ほど働いていて、制作部門が解散になって今に至る、ということですよね。PROPEでの経験は、フリーでの仕事にもつながっていますか?

 PROPEに入ってから、自分の絵柄が変わりましたね。入社前は、今より少しリアル寄りな絵を描いていたんですけど、「子どもに向けた作品」「ワールドワイドに向けた作品」を作る会社だったので、自分の絵や意識も変わっていきました。

 PROPEにはピクサーやディズニーのアート本がたくさん置いてあったので、それを見て感銘を受けたんです。それで「こういう絵を描きたいな」と強く思いました。

(*5)ソニック・ザ・ヘッジホッグ:セガのゲーム、および同作の主人公で、同社のマスコットキャラクターでもある。

—— そこが今の作風になるきっかけでしょうか?

 そうですね。海外のアーティストの作品を見て勉強して、絵柄が今のテイストになっていったという感じです。

 2000年頃から自分のウェブサイトに作品を上げていてイラストレーションの仕事をたまに受けていたんですが、作風を変えると依頼内容も変わってきました。今の作風になって最初の仕事が『ホラー横丁13番地』の装画です。それから少しずつ個人としての仕事も広がって、会社で勤務しつつ、個人でも仕事の依頼を受けていました。

ヒョーゴノスケさんがデザインしたモンスター「ミノタウロス」は、 パズルRPG「10BATTLE」(PROPE)に 登場する敵キャラクター。©PROPE

 

デジタルとアナログの関係

—— パソコンの画面と印刷した時で色味にどうしても違いが出てしまいますよね。ゲーム制作していた時は基本的にRGBで、イラストレーターとしてはCMYKの印刷物を見るわけですけど、その色の差を意識したり、こんなに色が変わるのかというような印象はありましたか?

 最初は全然意識しなかったですね。モノクロで描く漫画業界に長くいたせいか、それほど色にこだわりがなかったんです。ゲームを作っている時は、色味とかライティングにすごくこだわっていましたけど、イラストレーションについては色の知識があまりなかったですし、印刷物に対しても色がきちんと出ているとかそういう関心自体がありませんでした。

 ただ最近は色に対する知識も増え、気にするようになりました。特に「水色」ですね。ディスプレイで見た時に空とか海のきれいな水色が、印刷すると途端に死んでしまう、というのはすごく残念なので、どうにか改善出来ないかと試行錯誤しています。

 他にもデジタルでは暗部がきちんと見えていたのが、印刷すると真っ黒に潰れてしまったりもしますよね。そういうことを、今まさに勉強中です。

—— 制作はデジタルですけれど、あたたかみを感じる作風ですよね。

 アウトラインは、シャープな線ではなくてギザギザな線になるブラシを使って描いています。あとは、コンクリートとかアスファルトなどの写真を撮ってきて、それをオーバーレイで作品に重ねてムラを出しています。いろいろ試してみたんですけど、自分のなかで「これはいいぞ」というものが見つかったので、今はそれをずっと使っています。

—— 下描きにはどんな画材を使われていますか?

 ノートにボールペンです。コンビニで買えるものだけを使うようにしています。描いた下描きはスキャンしてパソコンに取りこんでいますが、パソコンで整える場合も整えない場合もあります。ただどちらにせよ、線は最終的に消してしまうので、本当にアタリ程度のものです。

—— 「スケッチの時にはコンビニで手に入るものを使う」と江口寿史さんもおっしゃっていました。

 世界堂にしか売っていない画材だと、無くなった時に世界堂に行かないと手に入らなくて困るんですよね。僕は一時ミリペンにはまって、パイロットのミリペンを愛用していたんですが、扱うお店がどんどんとなくなっていくわけです。そのうちどこにも置かれなくなってしまった。それで本当に困ったことがあったんです。

 だから今はミリペンも使わない。『ホラー横丁13番地』の挿絵を描く時に、何を使って描くかすごく悩んで、その時も一番慣れているミリペンにしようと思っていたんですが、先のことを考えるとボールペンだろうなって。そこで決めましたね、今後はボールペンで描くって。

『ホラー横丁13番地 〈6〉 狼男の爪』トミー・ドンババンド作/伏見操訳(偕成社)装画
ヒョーゴノスケさんが愛用している画材。

最終回に続きます)

 

〈プロフィール〉

ヒョーゴノスケ

イラストレーター。高校生の時『週刊少年ジャンプ』で漫画家デビュー。その後、ゲーム業界へ転職。10年間勤務した会社の制作部門の解散をきっかけに、フリーに。主な仕事に「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」ポスター、『暗号クラブ』シリーズの装画などがある。

Twitter@hyogonosuke


本記事は『イラストレーション』No.216の内容を本Webサイト用に調整・再録したものです。記載している内容は出版当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承下さい。

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