和歌山静子さんのことば:『絵本のいま 絵本作家2023-24』インタビュー

2024年1月、絵本作家の和歌山静子さんが他界されました。

前年の3月、笑顔で取材に応えてくださった元気なお姿を偲んで、『絵本のいま 絵本作家2023-24』掲載記事にスペースの関係で掲載出来なかったお話や写真を追加、加筆し、改めて和歌山さんの言葉をお届けします。

和歌山静子さん(アトリエにて)

◎寺村輝夫さんとの出会い

私は4歳で戦争を体験して、子どもの頃は、絵本というものがほとんどなかったのね。敗戦の直前の7月、疎開していた函館で空襲に遭って、どんどん弾が落ちてくる中、防空壕で過ごしたこともありました。

小学生の時、『暮しの手帖』(暮しの手帖社)の第1号が出たの。私はあの本が好きで好きでしょうがなかったんです。写真がいっぱいで、花森安治さんの絵が面白くて面白くて。どんどん切り抜いてはノートに貼りつけて、自分の本みたいなのを作っちゃったくらい。父は本が好きな人だったから、うちには大きな本棚があって、石川達三とか、大人の本でもなんでも読んでました。

お気に入りの画机は、和歌山さんの父が愛用していたもの。頑丈で今も現役。肘掛け椅子のカバーは、ピンクハウスのワンピースをリメイク。

私は今年83歳になるんだけど、27歳頃からずっと絵本の世界にいるのね。順序立ててお話しすると、武蔵美(武蔵野美術大学)を出て、フリーでイラストレーションとかデザインの仕事をしてたんです。広告代理店やデザイン事務所でね。ある事務所に籍を置いていて、そこの人が、あかね書房に私の絵を持って行ってくれたの。

そうしたら、編集長だった寺村輝夫さんが気に入ってくださって。向こう3年間は寺村さん専属で、他の作家の作品は描かないでほしい、契約料も払うと言われたの。専属は別にいいんだけど、私が20代、寺村さんは30代で、変な噂が立つと私の仕事にも差し障りがあると思ってね。契約料はいりませんから、就職口をくださいとお願いしたんです。

寺村さんは考えに考えて、これ以上いいところはないと、アド・センター(*1)を紹介してくださった。そこで堀内誠一(*2)さんに出会ったんです。なかのひろたか(*3)さんや西内ミナミ(*4)さん、カメラマンの立木義浩さん、デザイナーの金子功さんもいて、すごく面白かった。

アトリエの壁には太田大八さんが描いた長新太さんの絵が。

 

◎堀内誠一さんに教わったこと

寺村さんのおかげで「王さま」(*5)を描けたわけだけど、堀内さんのそばにいられたことが、私にとって本当に幸せでした。

堀内さんは、まず私を福音館書店に連れて行ってくれました。編集長を飛び越えて、社長の松居直さんに紹介してくださったの。でも、すぐに本のお仕事があったわけじゃなくて、クリスマスの包装紙をね、描かせていただいたんです。

そのうち、私が福音館書店で仕事をしたいと思ってるのを西内さんがなんとなく気づいてくれて。西内さんがお話を作った『のんびりおじいさんとねこ』(『こどものとも』1972年7月号)が、私にとって福音館書店の最初の絵本になりました。

福音館書店のクリスマス用の包装紙(1970年頃に制作)。こんなラッピングで絵本をもらったら最高にうれしい!

堀内さんはね、会社でフリーの仕事もするわけ。堀内さんが絵本を描き始めると、みんなソワソワして机の周りに集まるの。堀内さんの仕事を見ていたくて(笑)。

いつも仕事の早い堀内さんが、『おやゆびちーちゃん』 (アンデルセン 作 木島始 訳/福音館書店)では「ツバメが描けない」と悩んでました。どうして? よく描けてるのに、と私は思ってたんですけど。

でもね、私の息子が5歳の時、『おやゆびちーちゃん』を読んであげたら、ボロボロ涙をこぼしたの。なぜ? ちーちゃんは王子様と結婚して幸せになったのよと言ったら、「ツバメがかわいそう」と。ああ、堀内さんは、ツバメの悲恋が子どもに伝わるように描こうと苦しんでいたんだ、とその時思ったの。5歳の子どもがちゃんと分かったのよ。堀内さんはすごいなあ、と思いました。

アトリエの本棚から抜き出した『おやゆびちーちゃん』。出来上がったこの本を、堀内さんは事務所のみんなにプレゼントしたという。「それほど嬉しかったんでしょうね」。

堀内さんが絵本について話してくれたことなんて、ほとんどないのね。だけど、いろんなことを教えてくれました。つげ義春の漫画を「ワカちゃん、これ読んでごらん、面白いよ」と教えてくれたり、瀬田貞二(*6)さんや瀬川康男(*7)さんのおうちに行く時も、わざわざ私たちを連れて行ってくれたり。そういう人たちの話を聞かせたかったんだと思うの。堀内さんの何気ない言葉が、私の中に生きていて、描かせてくれる源になっているんだと思います。

お祭り大好きな堀内さんだったから、長野の御柱とか一緒に行って、私もお祭りが大好きになりました。あとはしょっちゅうみんなで飲みに行ってた記憶ばかり(笑)。渋谷の恋文横丁とか新宿のゴールデン街に連れて行ってくださって。ただお酒飲むんじゃないのよ、結構難しい話もするんだけど、堀内さんは、若い人たちがどんな意見を言うんだろうって、じっと聞いてるの。

堀内さんからのアエログラム(航空書簡。右1974年、左1976年)。1970~80年代、パリに住んでいた堀内さんは、親しい人たちに絵入りのアエログラムで近況を知らせていた。

どんなに飲んでも、堀内さんは絶対、酔っぱらってはいないの。ただ、みんなと離れがたいんだと思うのね。人が好き、それが堀内さんの絵本の、あの素晴らしさを支えていたんだと思います。

いま思うと、堀内さんは「人生って、楽しいね」と私に教えてくれたんじゃないかと思うの。言葉じゃなく、存在でね。堀内さんに会わなかったら私、こんなに長く絵本を描いてなかったと思います。

 

◎この仕事をしていてよかった

息子が10歳の時に描いた「おかあさんとみる性の絵本」(*8)の3冊は、声高な宣伝もしてないのに、毎年のように増刷していて。息子のために性教育の絵本があるといいなと思って描いたけど、ずっと必要としてくれる人がいるんだと思うのね。

監修の山本直英先生は私の高校の恩師で、この先生がいるんだったら作れるな、と思ったの。去年出した『おとなになるっていうこと』(童心社)も、性教育の普及活動に携わっている遠見才希子先生がきちんとそばにいてくれたから、作ることが出来ました。

1972年にチェコ(旧チェコスロバキア)で催された「日本の子どもの本」展のポスター。和歌山さんが描いた『子ゾウのブローくん』(寺村輝夫 作/ポプラ社 1968年)の表紙画が使われている。

今は大体ひと月に1回くらい、息子が孫を連れて来てくれるんですよね。上の子は小学4年生でゲームなんかやってるんだけど、下は今年小学校に上がる年で、絵本を読んであげると、一所懸命見てるのね。上の子もちゃっかり聞いてて「それって言葉あそびじゃん」とか言って(笑)。本当に、孫ってなんてかわいいんだろう。

私はまさか孫のいる生活が出来るとは思ってなかったけど、小さい子どもがいることが、すごく幸せ。家族の中に絵本があったら、絵本を通じて仲良くもなれるし。本当にこの仕事しててよかったなと、年を取ってからつくづく思いますね。

子どもってやっぱり、絵本が好きなのよ。読んであげたらみんな好きなの。ちゃんと気持ち入れて読めば、子どもはついてくるっていうか。これからどんどん電子書籍になっていくのかもしれないけど、紙文化は残ると思います。

 

◎描く仕事が待っててくれる

私は中国がすごく好きでね、多い時で年に5回ぐらい行ったことがあるの。昔の、自転車がじゃんじゃん走ってる頃ね。

好きになったきっかけは、1992年に、中国と日本で絵本の絵を交換して展覧会をしましょうという企画(*9)があったの。その時、片山健さんや西巻茅子さんとか、みんなで中国へ行く旅行を企画してね。家族と行く人もいて、私も息子を連れて行きました。名所旧跡には行かないで、古いまんまの街を歩き回って、すごく面白かったの。

日本に帰ってから、すごく描きたくなって、1カ月で100枚ぐらい描いちゃった。古い家や市場、人間とか、写真を見ながらバーッと。置くところがないから、京王プラザホテルの画廊で展覧会したら、ほとんど売り切れちゃって。あの気力はなんだったんだろう。そういう時は自然と手が動くのね。一生に1回、そんなことがありました。

中国で買った琺瑯の古いマグカップを画材入れに。「これ、今買うと高いんですって」。

コロナになってからずっと、人の多いところへ出かけるのは控えています。持病があると症状が重くなりやすいと聞くので。私の中に、死にたくない欲があるんでしょうね。まだ描きたい、という。だってやっぱり、描く仕事が待ってる。待っててくれるのよね。

ありがたいことに、仕事の予定が来年までいっぱい詰まってるんです。寺村さんの「王さま」のお話の中から幼児向けに5冊、新しく作るのと、蒸気機関車の絵本も描いています。それから猫の絵本も描きたいなと思ってるの。

カラーチップを使って「絵本のいま」表紙画の色を指定。

この『絵本のいま』の表紙の絵もね、描いていて楽しかった。こっちの方がいいかな、それともこうかな、と直しながら描くのが楽しいの。

そうやって、まだまだ絵本が描けそうです。

 

〈プロフィール〉

わかやま・しずこ/1940年京都生まれ。絵本作家。児童書の挿絵や絵本、紙芝居など作品多数。2010年に日本、中国、韓国、台湾などで出版された絵本を集めた「アジア絵本ライブラリー」を開設。2024年逝去。

 

 

【注釈リスト】

*1 デザイン会社。鳥居達也、堀内誠一らにより1957年設立(~1972年)。

*2 デザイナー、アートディレクター、絵本作家。

*3 アニメーション・スタジオ、デザイン会社勤務を経て絵本作家に。作品に『ぞうくんのさんぽ』(なかのまさたか レタリング/福音館書店)など。

*4 コピーライターを経て絵本作家に。作品に『ぐるんぱのようちえん』(堀内誠一 絵/福音館書店)など。2023年10月逝去。

*5 寺村輝夫による「王さま」の連作。1965年刊の『ぞうのたまごの たまごやき』(山中春雄 絵/福音館書店)に始まり、和歌山さんは1967年刊の『王さまばんざい』(理論社)より絵を描く。

*6 編集者、児童文学者。絵本や児童書の翻訳も多数。絵本評論に『絵本論』(福音館書店)など。

*7 画家、絵本作家。作品に『ふしぎなたけのこ』(松野正子 作/福音館書店)など。

*8 『ぼくのはなし』(和歌山静子 作)、『わたしのはなし』(山本直英、和歌山静子 共作)、『ふたりのはなし』(山本直英 作 和歌山静子 絵)、3冊すべて山本直英 監修(童心社)。

*9 「現代中国絵本原画展 船橋」「現代日本絵本原画展 上海・北京」。

 


取材・文:南谷佳世

撮影:岡あゆみ

協力:和歌山大夏、岸井美恵子(理論社)、童心社

 

【和歌山静子さんの代表作】

『王さまばんざい』

寺村輝夫 作(小学生文庫/理論社)1967年

和歌山さんが最初に描いた「王さま」シリーズ。さまざまな変遷を経て現在の「王さま」に至るが、ちょびヒゲとくるくるヘア、金の冠は変わらず。

*小学生文庫版、愛蔵版、フォア文庫版を経て、現在は「寺村輝夫・ぼくは王さま」シリーズ(全11巻) に受け継がれ、販売中。

 

『てん てん てん』

(福音館書店/初版『こどものとも0.1.2』1996年5月号)1998年

子育ての中で、子どもは虫が好きなんだと実感した和歌山さん。でも多くのお母さんは虫が嫌い。お母さんも虫が好きになってくれたら、という思いから生まれた赤ちゃん絵本。

*現在は「0.1.2.えほん」シリーズとして販売中。

 

『ぼくのはなし』

山本直英 監修(童心社)1992年

自分は「なぜ」「どうやって」生まれたんだろう? 子どもが疑問を持った時、一緒に読みたい絵本。いのちの尊さ、生きていることのありがたさを改めて感じられる。

*「おかあさんとみる性の本」シリーズ(全3巻)、「性とからだの絵本」シリーズの1冊として『おとなになるっていうこと』(遠見才希子/作 和歌山静子/絵)が販売中。

 


*本記事は、2023年7月刊行の玄光社MOOK『絵本のいま 絵本作家2023-24』掲載記事が基となっています。情報は、すべて2023年3月当時のものです。

玄光社MOOK『絵本のいま 絵本作家2023-24』


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