
日本画家・四宮義俊さんによる長編アニメーションデビュー作「花緑青が明ける日に」が、2026年3月6日(金)に全国の映画館で公開される。
四宮さんは、「君の名は。」や「この世界の片隅に」といった映画作品に参加するほか、装画、CMやミュージックビデオとなどジャンルを超えた創作活動を行ってきた。本作は初のオリジナル脚本長編アニメーション映画となる。
舞台は老舗の花火工場。「幻の花火」を作ろうと奔走する若者たちの姿を、四宮さん独自の色彩感覚で描き出す。第76回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出されるなど、世界中から注目を集めている。
構想から10年。満を持して劇場公開を迎えるいま、原作・脚本・監督を務めた四宮さんに、これまでに考えてきたことを伺った。
──本作「花緑青が明ける日に」は、どのようなイメージから始まったのでしょうか。
子どもの頃、家から5分ほどの場所に小さな海岸があり、毎年夏になると泳ぎに行っていました。ところが、ある時その海は埋め立てられてしまったんです。当時の僕は特に悲しむこともなく、「そういうものか」と受け止めていました。大人になってたまに地元に帰った時に埋め立てられた岸壁を見ると、昔の海岸がどうなっていたか思い出すことも難しくなっていたりして「あの海はなくなってしまったんだ」と実感するようになりました。
またずいぶん時は経ちますが、子育てをするようになり、ある日、家族を乗せて車を走らせていたら、子どもが「あれは海?」と聞きました。雑木林の隙間に広がるソーラーパネルでした。自然の中に並ぶパネルを「海」と捉える感性に、僕ははっとさせられました。その時、過去にあった「海」と、現代を象徴する「ソーラーパネル」という、正反対の風景が自分の中でつながったんです。
このイメージが物語の核になりました。今回の映画で打ち上がる花火やテーマはインスタレーションやアートとして表現することもできたと思います。それを今回はアニメーション映画という形で表現しました。

──どのシーンを切り取っても、風や匂い、光や水といったものがそのまま立ち現れるような、すばらしい映画体験でした。監督として、表現のイメージはどのようにチームに共有していったのでしょうか。
その点はとても難しいところです。特に木々や草花といった植物は、人それぞれに強いイメージがあります。だからこそ、「ステレオタイプな植物を描かないでほしい」とチームには伝えていました。たとえ少し不格好でも、その人の中にしかない植物を出してほしい、と。ステレオタイプな表現や何かを真似たような絵は結局は使えなかったりしました。
一方で、家の中の様子などは、ひな型となるイメージボードを共有し、「これを基準に描いてください」という形で進めることができます。ただ、植物だけは最後まで難しく、苦労した部分でした。



──制作を進める中で特に気をつけていたことを教えてください。
アニメーションには、大量のカットを制作するためのワークフローが確立されています。ただその中でも、「その人にしかできない表現」が生きる余地も残っていて。属人的な部分があるからこそ、逆説的にある種のステレオタイプが機能する場面もあります。だから、その両者のバランスをどう取るかを常に考えながら制作していました。
すべてを見たことのない独創的なものにするのではなく、キャラクター自体は、アニメーションとして親しみやすく、見やすいデザインにしようと考えました。むしろ、どこか見覚えのあるルックを持っているからこそ、それ以外の部分に現れる独創的な表現が際立つ。そうした点を意識しています。物語としては、ボーイミーツガール的なものとして、観客が自然に受け入れられる人物像にしたいと思いました。
──本作はフランスの「MIyu Productions」と共同制作と伺いました。制作体制や役割分担はどのような形だったのでしょうか。また、日本と海外とで表現や制作の進め方に違いを感じられた点があれば教えてください。
MIYU Productionsには、劇中に登場するストップモーションのカットを担当してもらいました。アニメーションと合成する必要があり、技術的にも難しいパートでした。
一番大変だったのは、やはり時差ですね。日本時間の夜9時半ごろに先方から資料が届き、それに対してレスポンスを返す、というやり取りを繰り返したり。
また、何が伝わっていて何が伝わっていないのか、「YES」と「NO」の感覚も日本とは少し違う。その点には難しさを感じました。微妙な言葉のニュアンスを完全には共有できないからこそ、上がってきた表現を尊重しながら進めていく。その姿勢を大切にしていました。
──日本画はもちろん装画や映画ポスターなど、「1枚絵」も手がけていますよね。 それらとアニメーションの世界では、どのような違いを感じますか?
アニメーションは映像である以上、「時間の表現」です。大きな違いはそこにあります。たとえば1秒のカットと10秒のカットでは、見せ方も役割もまったく異なっていて。1秒で「ここを見てください」と瞬間的に伝える絵と、10秒かけてじっくり味わってもらう絵では、ピントの絞り方もスケール感も変わってきます。1枚絵として完成度が高くても、「何秒で何を見せるか」という意識を持っていなければ、映像としては物足りなくなってしまいます。
今回の制作には、1枚絵を得意とする若い作り手も多く参加してくれました。だからこそ、早い段階から「何を見せたいのか」を共有するようにしていました。多くの場合、キャラクター(セル)が上に乗るため、背景には画面を受け止める広がりが必要になる。1枚絵としては魅力的でも、映像の中では機能しないこともあるんです。この違いはとても大きいと思います。
──イラストレーターとして活動する人の中には、アニメーションに関心のある方も多いかと思います。ただ、仰っていただいたような「時間表現の感覚」を身につけるのはまた難しいことにも感じられます。四宮さんご自身は、どのように身につけていったのでしょうか。
そうですね。僕は「アニメの世界に入った」という感覚はあまりないんです。スタジオに就職したわけでもないので。ただ、34歳の時にCMの仕事で初めて商業アニメの監督を務めました。その頃は、1カットに何秒使うのかという感覚があまり身についていなくて、いま見返すと改善したい部分もあると感じますけど。
CM制作を経験してから、短い時間の中で何を見せ、どこに視線を導くかを設計する必要があると知り、映像は「時間をどう使うか」が大切なんだと気づきました。
結局、自分に足りないものに気づけるかどうか、そして試行錯誤を重ねることだと思います。時間の流れによって感情が生まれるというのは、絵画とは異なる発想です。たとえば、あるカットとあるカットの順番を入れ替えるだけで、まったく違う感情が立ち上がる。そこには手品のような面白さがあるんです。
僕はまだ自分をプロのアニメ監督だとは思えないところもあります。ただ、時間によって感情が生まれるその瞬間の驚きは、いまでも変わらず面白いと感じています。

<プロフィール>
四宮義俊/1980年生まれ。日本画家として絵画を軸に、立体、映像など多彩な創作活動を行う。実写映画やアニメーション映画の美術や特殊シーン演出を担当、『君の名は。』(新海誠監督・回想シーン)、『この世界の片隅に』(片渕須直監督・水彩画)等に参加。渋谷スクランブル交差点での四面連動ビジョン放映で話題になった「トキノ交差」や「冒険隊~森の勇者~」(眉村ちあき)MVで監督を務める。本の装丁、広告、CMなど各種メディアに携わる一方で、日本画家として培った素材研究をベースに異質なマテリアル同士やジャンル同士を媒介・融合させながら作品を制作し続けている。

「花緑青が明ける日に」
2026年3月6日(金)全国公開
製作:A NEW DAWN Film Partners
配給 :アスミック・エース
公式サイト:https://hanaroku.asmik-ace.co.jp


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