『だれも知らないレオ・レオーニ』著者対談 だれも知らなかったレオ・レオーニ(前編)

1996年に板橋区立美術館で開催された回顧展から20余年。2020年10月24日(土)から同美術館で「だれも知らないレオ・レオーニ」と題した展覧会が開催される予定で、それに先がけ同名の書籍が8月31日(月)に刊行されました。

刊行を記念して、書籍の著者であり、展覧会の企画に携わる松岡希代子さんと森泉文美さんの特別対談を公開します。実際にレオーニさんと交流があった著者の言葉から垣間見える、作家の姿とは……?

*写真は1997年のボローニャで撮影されたもので、左から著者の松岡さん、レオーニさん、森泉さん。

(後編はこちらから)

 

常に心にお話を抱いたエンターテイナー

編:実際にレオーニさんとお会いした時の印象や、エピソードを聞かせて頂けますか?

松岡希代子(以下、松岡):私が最初にレオに会ったのは、1996年4月頃。レオの回顧展(*1)を日本で開催しようと企画していたので、レオのアトリエに連れて行ってもらったんです。その時は、文美さんと一緒ではなかったですよね。

(*1)1996〜1997年にかけて、東京都の板橋区立美術館を皮切りに日本4カ所とイタリアで開催された「レオ・レオーニ展」。松岡さんは学芸員として展覧会企画を担当し、森泉さんはコーディネーターを務めた。

森泉文美(以下、森泉):そうですね。私が会ったのは、そのあと展覧会ための資料や作品を、撮影しに行った時です。ラッダ・イン・キャンティのアトリエ(*2)で初めて会ったのですが、とっても優しい人だなあと思いました。温かくて、昔から知っているような心地よさがあって……。レオには「私はアーティストです!」という感じの近寄りがたさはまったくなく、だれとでも友だちになってしまうような、不思議な魔法の力を持った人でした。

(*2)レオーニさんの自宅とアトリエは、イタリア中央部に位置するトスカーナ州キャンティ地方のポルチアーノという谷にある、伝統的な石造りの農家を改築したものだった。

松岡:私が初めて会った時のことを思い返しても、心から受け入れてもらった印象がありますね。日本人である私と話していて、突然湧き上がる想いがあったのか、「日本には何度も行ったことがあるし、あなたが生まれる前の日本を僕は知っているんだよ」と、心のなかにある日本についていろいろと語ってくれたりもしました。

そういえば、ラッダ・イン・キャンティから少し離れた町のレストランに一緒にご飯を食べに行った時の面白いエピソードがあります。ご飯を食べて帰る途中、道に落ちている紙を見て、レオが「ライオンの形に似ている」と立ち止まりました。彼はその時すでに杖があっても歩くのが大変だったのだけれど、紙を杖でつつきながら突然「ガオー!」と言い出したんです。

森泉:ライオンと戦っていたんですね(笑)。

松岡:そうなの(笑)。レオは本当に好奇心旺盛で、心のなかに常にお話があって、いつも人を楽しませくれるエンターテイナーのような人だった。

伝統的な石造りの農家を改築したレオ・レオーニの自宅とアトリエ
家の前にあるテラスからは谷が一望できる

 

1996年開催の「レオ・レオーニ展」

松岡:そもそも1996年にレオ・レオーニ展を企画することになったのは、イタリアにあるローマ市パラエキスポ美術館の学芸員だったパオラ・ヴァッサーリがきっかけなんですよ。私は長い間イタリア・ボローニャ国際絵本原画展の担当者として、イタリアの人たちと仕事をしてきました。ある時ふと日本と海外の学芸員で協力して展覧会の交換ができたらと思いついて、周囲に相談したところ紹介されたのがパオラでした。彼女から「リオ・リオンニの展覧会をやろうと思っているんだけど、一緒にどうですか?」と言われて、最初はだれのことなのか分からなくて(笑)。しばらく考えて「もしかして『あおくんときいろちゃん』のレオ・レオーニ?」と思い至り、ようやくだれことだか分かったという思い出があります。

森泉:パオラ、そしてグラフィックデザイナーであり大学講師でもあるアンドレーア・ラウクによる展覧会の構成は本当に素晴らしかったですよね。レオ・レオーニは、絵本だけじゃなく、こんなにたくさんの仕事をしていたんだと知る驚き! 当時の私はレオのことを「絵本作家」としか思っていなかったので、アトリエに行った時にあまりに次から次にいろんなものが出てくるのでびっくりしました。彫刻、鉛筆画、ペン画、水彩画、版画、石版画、グラフィックの仕事などなど……。

松岡:絵本原画展のつもりで準備を始めたんだけど、実際にレオのアトリエに行ったら、とんでもないことになってしまってね(笑)。「幻想の庭」という平行植物の彫刻を見た時に「この作品がなければ、展覧会にならないな」と思って、急遽予算繰りなどを考え直して、輸送の手配を整えたりもしました。

「平行植物」があるレオ・レオーニの庭

 

森泉:初めてのことでしたよね。

松岡:そうそう。ブロンズ彫刻は重いし、空輸するのも大変だから。でも、あの展覧会には絶対必要だと感じた。いまもラッダ・イン・キャンティの自宅とアトリエは残っているけれど、テラスにあったそれらのブロンズ彫刻はほとんどなくなってしまったのが残念ですね。だけど、文美さんが1996年展覧会のために撮って、それ以降の展覧会でも時折公開されている映像にはレオが庭で彫刻の説明しているシーンがあって、すごくいいです。

森泉:レオは不思議な世界を自邸の庭に創り出していました。もしかしたら京都とかで、いろんな石庭や日本庭園を見てインスパイアされて、彼なりの「幻想庭園」を作ったのかもしれない。

松岡:不思議な植物が、本当に自生していてもおかしくないような雰囲気の場所でしたね。

森泉:そうそう。あと、イタリアの植物や野菜は不思議で芸術的な形をしたものが多いんだけど、それら見ていると、「レオが作った作品みたい」と思う瞬間があったりします。レオの世界とイタリアの実際にある植物の世界が、行き来しているような気分が味わえる。

……とにかく、パオラとアンドレーアが考えた、絵本をとっかかりにレオのそれぞれの「アート」を追いかけるという展覧会構成は本当に素晴らしいもので、絵本作家の一面しか知らない人たちに彼の作品世界を知ってもらうためにとてもよく考えられた内容でした。

松岡:本当に。絵本をキーワードにすることでだれもが楽しめるものでありつつ、深い部分まで考えたり、感じたりすることが出来るようなものだった。1996年のレオ・レオーニ展以後、私が企画した展覧会はその考え方にすごく影響を受けています。

改めて、レオに会ってレオ・レオーニ展を企画したことは、私や文美さんにとって大きな人生の転機だったと思いますね。

森泉:そうですね。アートとは何なのか、ものを作るとはどういうことなのかという原点についても考えさせられたし、面白いきっかけをたくさん与えてもらいました。

イタリアと共同で開催した、1996年の「レオ・レオーニ展」図録

 

後編に続きます)

 

<プロフィール>

もりいずみあやみ/1963年東京生まれ、ローマ在住。1975年までニューヨークに育つ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。東京大学教養学部比較文化比較文学修士課程修了。1989年よりイタリア・ボローニャ国際絵本原画展のコーディネーター、ドキュメンタリー映像の制作を務め、日本でのブルーノ・ムナーリ、イエラ・マリ展などのコーディネートも手がけている。

まつおかきよこ/板橋区立美術館館長代理、女子美術大学非常勤講師。1961年東京生まれ。千葉大学大学院終了後、1986年より板橋区立美術館に学芸員として勤務。1989年からイタリア・ボローニャ国際絵本原画展を担当。レオ・レオーニをはじめ、瀬川康男、トミ・ウンゲラー、ブルーノ・ムナーリなどの絵本作家の全貌を解き明かす展覧会シリーズを展開中で、2017年にはインドの独立系出版社タラブックスの展覧会を企画した。

 


<書籍情報>

『だれも知らないレオ・レオーニ』は、「絵本作家」だけではない、氏の知られざる一面垣間見ることの出来る1冊です。

 

<展覧会情報>

「だれも知らないレオ・レオーニ展」

会期:2020年10月24日(土)~2021年1月11日(月・祝)

時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)

会場:板橋区立美術館

休館日:月曜日・年末年始

(ただし、11月23日、1月11日は祝日のため開館し、11月24日休館)

Webサイト:https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001385/4001386.html


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